
長野赤十字病院長の小林光と申します。当院には32年前の1993年に赴任し、血液内科医として勤務してきましたが、本年4月より和田秀一名誉院長のあとを継いで病院長を拝命しました。どうぞ宜しくお願いいたします。
当院の歴史は全国に90ある赤十字医療施設の中でも古く、明治37年(1904年)に全国3番目としてスタートしました。当初は日本赤十字社長野支部病院として開院し、昭和18年(1943年)に現在の長野赤十字病院に改名し現在に至ります。昨年創立120周年を迎えました。
日本赤十字社は赤十字組織の生みの親であるアンリーデユナンの精神を基に「苦しんでいる人を救いたいという思いを結集し、いかなる状況下でも人間のいのちと健康、尊厳を守る」ことをミッションとしていますが、当院は日本赤十字社のミッション達成のために、住民の皆様に対し、「人道、博愛、奉仕の赤十字精神にのっとり、患者中心で質の高い医療を実践する」ことを病院の理念として掲げ日々職員一同努力しています。この理念を実現するため、当院では3つの活動の柱を設けています。
1つ目の柱は医療活動ですが、これはさらに大きく3つの分野に分かれ、一つ目は救急医療、2つ目はがん診療、3つ目は母子周産期医療です。
救急医療については、北信地域唯一の救命救急センターを持ち、2024年1月~12月の救急車・ドクターヘリ受け入れ件数は7,987件でした(2023年は8,299件で長野県内で最多でした)。「断らない救急」をモットーにし、救急車応需率は99.6%で、これは全国の救命センターを持つ赤十字病院の中でもトップレベルであり、この地域の医療の「最後の砦」としての当院の使命を職員が日々実践している結果と自負しています。
がん診療については、がん診療連携拠点病院として多くのがん患者さんを受け入れてきましたが、2023年の集計登録数は2,018件で初めて2,000件を超えました。がんのロボット手術にも力を入れ、昨年10月よりダビンチは2台体制となり、今年4月よりロボット支援手術センターを開設しました。母子周産期医療についても、母体搬送件数が2024年は74件で、また9床あるNICUで令和5年度は192名の新生児を受け入れるなど、この地域で重要な役割を果たしています。
2つ目の活動の柱は災害医療活動です。日本赤十字社の大切な使命の一つであり、当院では毎年5班の救護班を組織し、2025年2月現在DMATとして医師16名、看護師15名、調整員14名がそれぞれ登録されています。昨年の能登半島地震でも延べ96名の職員を派遣しました。
3つ目の柱は医療人の育成です。基幹型医科・歯科臨床研修病院としての充実に努力し、現在までに261名の初期研修医が当院で研修したほか、研修医だけでなく、看護師その他の職種の学生を受け入れ教育に力を注いでいます。
当院は現在の若里の地に移転し今年で42年目となり、建物の老朽化が目立つようになり、ますます高度化する医療に対応し十分な機能をこの地域で果たし続けていくため、2029年度の開院をめざし現在新病院の建設計画を進めています。赤十字の理念に立ち、明治・大正・昭和・平成・令和と120年以上にわたり地域で果たしてきた役割を今後も果たすべく職員一同努力していく所存ですので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
2025年4月
長野赤十字病院 院長
小林 光